参議院選挙が始まりました。経済と安全保障が大きな争点です。ロシアのウクライナ侵攻、中国の海洋進出加速、北朝鮮の断続的ミサイル発射等、国際情勢は険しさを増しています。経済はインフレ対策とともに、日本の産業や技術革新も課題です。今や安全保障に関わらない産業や技術革新はないと言っても過言ではないでしょう。デュアルユースの是非を論じていること自体、日本社会のガラパゴス化と建前論の弊害を感じさせます。宇宙開発はその筆頭分野です。
5月中旬以降、ウクライナ軍劣勢を伝える報道が多くなっていましたが、ここに来てロシア軍予備役投入のニュースも飛び込んできました。
実際の戦況はよくわかりませんが、ようやくドイツ政府から自走式榴弾砲が提供されることが決まった等々、再びウクライナ軍挽回の雰囲気が伝わってきます。
ロシア軍侵攻以来、ウクライナ軍の善戦には米国等からの衛星情報の提供が寄与していると言われています。今日はその話を整理してみたいと思います。
私たちが日常的にお世話になっている衛星は基本的に3つに分類されます。第1は測位衛星、第2はリモートセンシング衛星、第3は通信放送衛星です。
測位衛星がスマホやカーナビに利用されていることは実感できますが、その他にも様々なアプリケーションに利用されています。
現在、測位衛星を独自に有しているのは、米国(GPS)、ロシア(グロナス)、EU(ガリレオ)、中国(北斗)、インド(NavIC)、フランス(DORIS)、日本(準天頂)です。
因みに、GPSは米国の測位衛星システム「Global Positioning System」の頭文字であり、固有名詞です。一般名詞はGNSS(Global Navigation Satellite Systems)、全地球航行衛星システムです。
リモートセンシング衛星は気象、写真、レーダー、通信放送衛星は読んで字の如く衛星電話、衛星放送に利用されています。
このうち、リモートセンシング衛星がウクライナ軍のロシア軍に対する抵抗、反撃に関して、重要な役割を果たしています。
リモートセンシング衛星は宇宙空間から地表や海表面を撮影、撮像し、地球表層の状況を観測することが目的のため、「地球観測衛星」とも呼ばれます。
その地球観測衛星のパラダイムが2010年代以降に大きく変わりました。その激変には2つの流れがあります。
第1は、多数の地球観測衛星を同時に運用して高頻度で地表を観測する「地球観測衛星コンステレーション」の構築が始まったことです。
第2は、それまで主流だった光学衛星に加え、SAR衛星が登場したことです。SAR衛星について説明する前に、地球観測衛星のセンサーについて付言します。
地表撮像に用いるセンサーを大別すると、太陽光反射等を活用する「受動的センサー」と、衛星自ら電磁波を放射してその反射を観測する「能動的センサー」に分かれます。
受動的センサーは、要するに写真と言っていいでしょう。地表面が反射する可視光や赤外光を観測して画像を得る光学センサーです。地表面が放射する熱赤外線やマイクロ波を観測する場合もあります。
能動的センサーの代表例はレーダーです。レーダーは使用する電波の波長によって見える対象が変わります。
レーザー光を放射するLIDAR(Laser Imaging Detection and Ranging)もあります。SARもレーダーの一種です。発した電磁波で地表を照射し、その反射波から画像を作成します。
「SAR」とは「Synthetic Aperture Radar」の頭文字であり、日本語では「合成開口レーダー」と訳されています。
電磁波(マイクロ波)を地表に向けて照射し、反射してきた電磁波を受信・解析することで地表の状態を画像化します。
カメラや光学センサーで撮影するわけではないので、地表に太陽の光が当たっていない夜間や悪天候下でも画像化できます。要するに24時間観測可能です。
観測対象の材質が識別可能であり、太陽光の影響を受けずに定点観測可能なことから、対象物の細かな変化も捉えることができます。
つまり、SAR衛星は悪天候で雲がかかっていても、深夜で日が差さない場所でも地表を観測できます。
SAR衛星は使用する電磁波の種類、電波の波長によって様々な対象を観測できます。例えば、地下水や地下鉱物の分布なども捉えることが可能です。
反射してきた電磁波には、独特のノイズが含まれます。そのため、電磁波データの解析技術力が精度の鍵を握り、AI(人工知能)活用等の高い専門性が必要とされます。
以上のとおり、可視光から電磁波に観測手段が拡張され、衛星コンステレーションとSAR衛星が地球観測衛星のパラダイムを変えました。なお、コンステレーション(Constellation)とは「星座」という意味です。
1999年、米国で衛星の国家独占時代が終わり、民間衛星の打ち上げ、利用が活発化しました。以後、米政府は軍事衛星補完のために経済性に優れた民間衛星を活用してきました。
2010年代、SAR衛星が普及するようになった背景には、それまでのボトルネックが解消されたことがあります。
かつてのSAR衛星はシステムが複雑なために規模が大きく、費用も高額でした。さらに、SAR衛星に利用される電磁波にはノイズが多く含まれることから、ノイズ補正技術が十分でなかった頃には制作される画像も粗いことがネックでした。
また、SAR衛星が使用する能動的センサーは電力を多量に消費します。自ら電磁波を放射するためには、受動的センサーに比べて電力を多量に使います。
そのため、大容量の太陽電池を電源として搭載する必要があり、SAR衛星は大型にならざるを得ませんでした。
2010年代初期までは、基本的に1トンから4トン規模の大型衛星を国家主導で開発するのがSAR衛星の常識でした。
しかし、技術革新や汎用部品活用によってSAR衛星の小型化・低価格化が進んだほか、AI活用等によって画像解析技術も向上。そうした変化が2010年代に進み、SAR衛星の実用性も急速に高まりました。エレクトロニクスと電力技術の発達の賜物です。
衛星小型化によって打ち上げコストが大幅に下がったうえ、そこに衛星コンステレーションの実用化も加わり、SAR衛星を活用したデータビジネスが活発化し始めました。
重量数kg級の小型SAR衛星も技術的に可能となったことから、資金力が小さいベンチャー企業等でもSAR衛星を独自に製造、打ち上げ可能となり、衛星データビジネスという分野が確立しました。
例えば、小型SAR衛星を精細映像が撮影できる低軌道(高度約300kmから2000km)に36基打ち上げてコンステレーションを構築すると、地球全体の詳細な映像を10分間隔で撮影し続けることが可能になるそうです。
こうした地球全体の詳細な映像データが準リアルタイムで観測できるようになると、その用途は様々な分野に広がります。
防災、環境保全、農業支援、水資源保全、交通渋滞緩和、金融等々の分野に加え、当然、安全保障にも活用されます。
2015年10月、SAR衛星データの民間への販売を規制していた米商務省が方針転換(販売容認)したことも追い風となりました。米商務省の方針転換は、中小型衛星でもSARを利用できるようになった状況を受けた措置です。
SAR衛星コンステレーション構築、あるいはSAR衛星データビジネスを目指すベンチャー企業が狙っているのは、光学衛星コンステレーションにはできない新たな地球観測データの用途開拓です。
例えば、SAR衛星の画像で需要や景気動向、株価などを予測するビジネスです。既に光学衛星コンステレーションで郊外型ショッピングモールの駐車場観測データから、株価を予測する試みが始まっています。駐車台数の推移から売り上げを推定し、株価予測の根拠とするためです。
しかし、光学衛星では曇天雨天時のデータが欠けるので予測には不確実性が伴います。曇天雨天でも観測データが得られるSAR衛星コンステレーションであれば、正確な駐車台数データを得られることから、予測の確実性は高まります。
田畑の観測データから栽培作物の生育状況を監視する事業も立ち上がっています。やはり光学衛星では生育状況に大きく関係する曇天雨天時のデータが得られませんが、SAR衛星であれば切れ目のないデータによってより精度が高い予測が得られます。
現在このビジネス分野で世界トップポジションにあるのは米プラネット・ラボ社。2019年末に興味があって調べた時には、140基体制で超小型地球観測衛星を運用し、主要地域を数日に1回という頻度で観測し、データを販売していました。
但し、その時点の同社の衛星は光学衛星が基本であり、以後、同社もSAR衛星への転換を進めていると聞き及びます。
そのプラネット・ラボ社を含め、光学衛星、SAR衛星を運用する複数の宇宙ビジネス企業がウクライナに情報を提供して支援しています。
同じく米国のマクサー・テクノロジーズ社は、ロシアの軍事侵攻以前からウクライナ上空から商用地球観測衛星「ワールドビュー3」が撮影した画像を公開しています。
今後同社が打ち上げる「ワールドビュー・レギオン」は6基のSAR衛星コンステレーションです。レギオン衛星は解像度30cm四方と発表されていますが、同社はより低軌道に飛ばせば20cm四方まで能力向上が可能であり、情報収集能力は2倍になるとしています。
また同社は、衛星画像アーカイブ、ドローン画像、ビデオソース、3D技術等を駆使して、現実世界を再現した没入感のある環境を作り出す「精密3Dジオレジストレーション」を制作し、米軍に提供していると言われています。
米国では、他にもMDA社、ブラックスカイ・テクノロジー社、ブラック・スカイ社、カペラ・スペース社等も情報提供しているようです。
米国以外では、アルゼンチンの地球観測衛星企業サテロジック社がウクライナ政府に情報提供していることが知られています。
2010年に設立された同社は、地球全体を高頻度かつ高解像度でマッピングする地球観測プラットフォームを開発、運用しており、解像度70cm四方で地球全体をマッピングしています。
同社は今年になってイーロン・マスク率いるスペースX社のロケットで5基の新しいSAR衛星を打ち上げました。また、今年前半に多額の資金調達に成功したことから、今年後半にさらに12基、2023年第1四半期までに合計34基のSAR衛星を打ち上げ、任意の地点を毎日最大7回撮影できる体制を整えるそうです。
2025年までに衛星群を200基以上に拡大し、地球全体を毎日高頻度でマッピングする能力を備え、競合他社の10分の1のコストで10倍以上のデータを取得、提供できるようにすると発表しています。
SAR衛星ではありませんが、イーロン・マスク率いるスペースX社が提供する衛星インターネット「スターリンク」の存在も極めて重要です。
スターリンクの受信用アンテナがウクライナに提供されたのは、ロシア軍侵攻開始3日後の2月27日です。
3月19日までに数千台のスターリンク受信用アンテナがウクライナに届けられ、今では1万台以上に達し、ウクライナ政府及びウクライナ軍に大いに貢献しています。
受信用アンテナと電源があれば、従来の通信設備は必要ありません。スペースX社の衛星コンステレーションを経由してインターネットに接続されます。
ロシア軍のサイバー攻撃、地上施設爆撃に対して耐性があり、スターリンクが物理的に遮断されることはありません。今やウクライナにとって不可欠のライフラインです。
スターリンクによるインターネット接続を介して、ウクライナ国民は世界の最新ニュースを入手するとともに、世界へ情報発信しています。
ウクライナ政府及び軍は、スターリンクによってSAR衛星の情報も入手でき、ロシア軍への攻撃や、戦地に取り残された自軍及び自国民との連絡にも活用しています。
スターリンクはプーチンの戦略にとって大きな障害になっています。スターリンクの存在によってプーチンの情報操作・情報遮断戦略は頓挫し、今日に至るまでウクライナを敗北に追いやることができていません。
こうしたインフラは、衛星情報を利用して真実追求を試みるべリングキャット等の新ジャーナリズムも支えています。衛星インテリジェンスとも言われています。
米国以外では、フィンランドのアイスアイ(ICEYE)社も注目されているほか、日本ではシンスペクティブ(江東区)社が筆頭です。
シンスペクティブは実証衛星を2020年12月に軌道(高度500km)投入し、2021年2月に画像取得に成功。民間の小型SAR衛星の画像取得は日本初でした。
2023年までに6基、2026年頃には30基体制による低軌道コンステレーション構築を目指し、完成すれば世界の全地点の画像を2時間以内に観測可能となるそうです。
今月15日、大手計器メーカー東京計器がシンスペクティブと業務提携し、SAR衛星開発と量産化を目指すと発表。東京計器は2030年代の宇宙ビジネス本格化を見据え、自社工場内に衛星組立棟を建設するそうです。
なお、JAXA(宇宙航空研究開発機構)はSAR衛星「だいち2号」を運用しています。この分野では、大手企業ではNEC、三菱電機等が先行しているほか、パスコ(目黒区)、QPS研究所(福岡市)等の企業名も聞きます。
世界に遅れを取らないよう、投資と人材育成に支えられた技術革新が鍵を握ります。
(了)