日本で言われる「カルト」は英語では「cult」、仏語では「secte」です。元来は「儀礼・祭祀」を表す言葉であり、批判的なニュアンスのない宗教用語でした。現在では反社会的行為を行う集団や組織、あるいはそのような宗教団体を指す言葉となっています。欧州とりわけフランスでは、一般的な宗教から派生した団体を「セクト」と呼び、「カルト」と同義として扱っています。臨時国会ではカルト対策の法制について議論します。
カルト対策についてはフランスの2001年法(通称・反セクト法)が参考になりますが、その内容を説明する前提として同国における「ライシテの原則」を理解しておく必要があります。
「ライシテ」とはフランスにおける国家と教会の分離原則(政教分離原則)を指します。国家の宗教的中立性・無宗教性及び個人の信教の自由の保障を示す言葉です。
「ライシテ」の語源はギリシア語の「ラオス(民衆)」「ライコス(民衆に関すること)」であり、「クレーリコス(聖職者に関すること)」の対義語です。
18世紀末、とくにフランス革命以後、この言葉は「教権主義」に反対する理念となり、「政教分離」「(教育や婚姻に代表されるような)市民生活に関する法制度の宗教からの独立」「国家の宗教的中立性」を意味します。
日本語では「世俗主義」と訳されることもありますが、どうも日本人が正確に理解することの難しい概念のようですので、以下では「ライシテ」という原語を用います。
フランスは「自由」「平等」「友愛」を国是に掲げる共和国です。憲法第1条には「フランスは不可分で、ライックで、民主的で、社会的な共和国である」と記されており、「ライック」は「ライシテ」の形容詞です。
「ライシテ」はフランス革命以来、主に学校教育制度に関するカトリック勢力と、共和民主主義・反教権主義勢力との対立の過程で醸成されました。
教育の無償制・義務制、そして「ライシテ」を保障するジュール・フェリー法(1882年)、公立学校教師の「ライシテ」を保障するゴブレ法(1886年)等に基づく非宗教化政策の結果、1905年、フランス共和国(第3共和政)により政教分離法(通称ライシテ法)が公布されました。
これによってフランスの反教権主義(反カトリック主義)が確立し、国家の宗教的中立性・無宗教性及び信教の自由が保障されました。
ライシテ法第2条には「フランス共和国はいかなる宗教も公認せず、俸給を与える又は助成金を支出することはない」と記されており、国民に共和主義的平等を保障するものです。
「ライシテ」は政治と宗教を対立させるものではなく、政治・行政から宗教の影響を排除することが目的です。したがってフランスにおける宗教は、個人の信教の自由、思想・良心の自由という領域を超えて影響を与えることはありません。
「ライシテの原則」は、受動的な宗教的中立性ではなく、能動的かつ確信的に公私を分離して公的領域から宗教的要素を排除するという姿勢を示しています。
公教育はいかなる教義をも特別扱いしてはならず、また教義によって知性が歪められることを許しません。革命以来のフランス理性主義の理想が垣間見えます。「ライシテの原則」はフランスにとって極めて重要な価値観です。
「ライシテの原則」はフランス社会に深く根ざすものでありながら、社会の変化に応じて変わってきている面もあります。
当初の「ライシテの原則」には、共和主義的価値を脅かすカトリック教会の影響を排除する意図がありました。
やがて伝統的カトリックとは直接関係のない様々な過激思想(新たな全体主義、セクト、イスラム原理主義等)が登場。現代の「ライシテの原則」はより複雑で幅広い文脈の中で捉えられています。
中東からの移民増加とその文化的軋轢が表面化した1990年代以降、「ライシテの原則」もイスラムとの関係で論じられることが多くなっています。
2001年の米国同時多発テロ事件以後、一部のイスラム過激派に対する恐怖を背景に、「ライシテ」はイスラム排除意識と連動し、「ライシテの右傾化」という表現も生まれました。
また、フランスの国民国家的統一を脅かしかねないとして懸念視されている「アングロサクソン共同体主義」に対置して論じられるようになり、欧州におけるフランスの独自性と周辺諸国(とくに英独)からの影響排除を目指す「ライシテ強硬派」を生み出しています。
いずれにしても、日本人が正しく理解することはなかなか難しいフランスの深遠な価値観、それが「ライシテの原則」です。
フランスにおいてセクト対策が本格的に始まったのは1995年。信教の自由が保障されている先進国の中で最も強力なセクト対策です。前後の経緯を整理します。
なお、フランスにおける「セクト」は日本で言う「カルト」「カルト宗教」に等しい印象ですが、正確な定義の共有は困難です。それを前提に話を進めます。
1978年、人民寺院の南米ガイアナ拠点での集団自殺等、セクトによる衝撃的事件を契機としてフランス政府はセクト調査を開始。
初期のセクト調査として知られるヴィヴィアン報告書は1983年提出(公表は2年後)。しかし、同報告書は1995年まであまり注目されませんでした。
1993年、米国でブランチ・デビディアン信者が警察と銃撃戦の末に焼身自殺。1994年、太陽寺院信者がスイスとカナダで集団自殺。1995年、日本でオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生しました。
こうした世相に加え、欧州でもセクト活動が目立ち始めていたことから、1995年7月、フランス下院(国民議会)にセクト調査委員会が設置されました。
同委員会はヴィヴィアン報告書等の内容を踏まえつつ、同年12月にギュイヤール報告書を提出(公表は翌年1月)。
同報告書は「セクトの定義は困難」としつつ、セクトであるか否かを判断する10指標を提示し、それに基づいて170超の団体をセクトとして掲載しました。
10指標は「精神的不安定化」「法外な金銭要求」「元の生活環境からの引き離し」「身体への加害」「子どもの加入強制」「反社会的な言説」「公序侵害」「裁判沙汰の多さ」「通常の経済流通経路からの逸脱」「公権力への浸透の企て」です。
名指しされた団体等から激しい反発を受けたものの、報告書提出直後に同国ヴェルコール山塊で太陽寺院信者による2度目の集団自殺が発生。世論の後押しを受け、報告書の提言内容は迅速に実施されることになります。因みに、太陽寺院集団自殺は前年の事件も含めて実際は「虐殺」と見られています。
下院はその後もセクト対策を議論し、1998年、セクトの財務と経済活動を調査する委員会を設置。翌年6月、同委員会は「セクトと金」と題するブラール報告書を提出。
議会はセクト対策のために諸法律の制定や改正を行いました。例えば、義務教育監督強化法はセクト施設内にいる子供が教育を受ける権利を保障するものです。
ギュイヤール報告書の提案に沿い、セクト対策を行う「セクト関係省監視室」を首相の下に設置。同室はセクト分析とセクト対策の提案等を行いましたが、あまり活発には活動せず、1997年に年次報告書を提出して解散しました。
その後、1998年10月に「関係省セクト対策本部(ミルス)」を設置。公務員研修、セクト行為防止措置の関係機関への働きかけ、セクトに関する情報公開等を積極的に行い、2002年11月まで存続。3回の年次報告書を提出・公表しました。
その間の2001年6月、セクトを規制対象とする「人権及び基本的自由を侵害するセクト的団体の防止及び取締を強化する法律(通称・セクト規制法または反セクト法)が制定されました。同法は提出者の上院及び下院議員の名前に因んで「アブー・ピカール法」とも呼ばれます。
法律には当初「精神操作罪」が含まれていましたが、議会と政府は欧州人権条約違反を懸念。既に刑法典にある「未成年者・弱者に対する罪」を参考に「無知・脆弱状態不法利用罪」に修正したうえで同法を制定しました。
「無知・脆弱状態不法利用罪」は信者を心理的・身体的服従状態に陥らせ「重大な損害を与えうる作為または不作為に導くために、その者の無知または脆弱状態を不法に利用すること」です。
同法は人権侵害防止を主目的としており、セクト的団体のみを対象にする法ではなく、そのような行為を行う「団体」「法人」に広く適用することを想定しています。
つまり、通称「セクト規制法」「反セクト法」でありながら、セクト限定の特別法ではありません。その背景は、前項で説明した「ライシテの原則」への配慮です。
そもそも1995年のギュイヤール報告書はセクト規制を提案する一方で、セクトの定義は困難であること、セクトだけを対象にする特別法は「ライシテの原則」に反するとの認識を示していました。
EU(欧州連合)もセクト規制法に懸念を示し、フランス政府に見直しを求めました。とくに、セクト規制法におけるキーワードのひとつである「心理的服従」が主観的要素と曖昧さを含んでいるため、宗教信仰が心理的服従と同一視される危険性を指摘していました。
フランスにおいてセクト嫌悪感が強いことも「ライシテの原則」と関係があります。同国ではセクトが公的組織・領域に進出しており、「ライシテの原則」に反するとして問題視されています。また、セクトによる精神操作は信教の自由に反すること、セクトによる信者からの金銭的収奪が激しくなっていること等も影響しています。
2002年11月、ミルスに替えて、新たに首相の下に「関係省セクト的逸脱行為警戒対策本部(ミヴィルデス)」が設置されました。
ミルスと比べ、ミヴィルデスの活動は強化された一方で、「ライシテの原則」に一層配意しました。
つまり、ミルスが「セクトそのもの」を規制監視対象とする度合いが強いのに比べ、ミヴィルデスは「セクト的逸脱行為」が対象であることを明確化しました。
「ライシテの原則」に配意して「セクトそのもの」への規制監視を緩めた一方、「セクト的逸脱行為」を行う団体全てを対象にしました。結果論ですが、ミヴィルデスはより広範な規制を行うことが可能となりました。
ミルヴィデスは「セクト的逸脱行為」の具体例としてギュイヤール報告書における10指標に追加して「公序侵害」「精神不安定を招く生活条件」「脆弱・無知状態者への侵害」「損害を生ぜしめる作為・不作為を導く精神的服従」「集団における他の者の拒否」「違法な医療行為・歯科行為・助産行為」「強姦性的攻撃罪」「尊属によるネグレクト」「食事を与えない行為」「父親母親の義務違反行為」「学校に登録しない行為」等を示しました。
セクト規制法で導入された「無知・脆弱状態不法利用罪」はなかなか実際に科される機会がありませんでしたが、2004年11月、ネオファールという団体のグルに初適用されました。
ネオファールは20人以下の閉鎖的小規模集団でしたが、信者は邪悪とみられる外界を避け、自給自足の生活を営み、全ての職業活動を止め、家族との関係を断ち、自殺者も出ました。
ネオファールへの適用を契機に「無知・脆弱状態不法利用罪」は絶対的教祖を中心とする閉鎖的小規模集団も対象とすることが示され、同種団体への牽制効果を発揮しています。
セクトの信教の自由、及び「ライシテの原則」とセクト対策の調整、さらに「セクトそのもの」ではなく「セクト的逸脱行為」を規制対象とする姿勢は、2005年5月の首相通達においても明確になりました。
この通達で、フランス政府はセクトのリスト作成及びそれに基づく対策を否定。当時のラファラン首相は次のように述べています。曰く「特定集団をブラックリストに載せるより、むしろ犯罪となりうる不正行為、法令違反のように見えるあらゆる不正行為を取り締まる」。
1995年以降のセクト対策の基本的枠組みを維持しつつ、宗教的自由や「ライシテの原則」の尊重との均衡を図っていますが、結果的にはより広範な規制が可能となっています。
こうした修正が行われた背景には、フランスではセクト的団体の信者が増加し続けていることがあります。
また、国内外からの批判に対応した面もあります。国内では、セクトリストに掲載された団体のみならず、伝統的宗教団体や法学者からも批判されました。
国外では、EUに加えて米国もフランスを批判しました。米国は1998年に国際宗教的自由法を制定。以来、同法に基づき、米国務省は毎年連邦議会に「国際宗教的自由報告書」を提出。この中でフランスのセクト対策は信教の自由に反するとして批判してきました。
しかし、上述のようなミヴィルデスの方針や2005年通達により、「国際宗教的自由報告書」はフランスを名指しする批判を止め、客観的事実のみを記述するようになりました。
旧統一教会問題が顕現化した日本から見ると、フランスの対応は適切のように感じられる一方、そのフランスを米欧諸国が批判。フランスはそれに応じてセクト対策を緩めたようで実は強化。その結果、米国からの評価は好転。不可解な展開です。
ことほど左様に、この問題は単純化した議論は禁物ということでしょう。
(了)