政治経済レポート:OKマガジン(Vol.511)2023.5.29

学生時代以来、海に潜り続けています。インストラクターとしては伊豆大瀬崎で活動していましたが、ここ10数年は奄美大島や周辺離島などで潜っています。年々歳々、珊瑚の白化や魚種の変化、魚影の希薄化を実感します。去年の11月、石垣島で潜った際には、海水温が高過ぎて海底でウミガメがグロッキー気味で静止していました。近づいても動く気配もありません。地球環境と共存できるか否かは、人類が存続できるか否かと同義です。


1.プラネタリー・バウンダリー

世界の主要国が産業革命と近代化の真っ只中にあった1879年、米国の政治経済学者ヘンリー・ジョージが著書「進歩と貧困」の中で地球を「宇宙を航海する船」と表現。

地球という船の資源は無限、食料も増産可能。人間の万能感に満ちた楽観的で傲慢な認識が前提です。それから約100年後、その認識は180度転換しました。

「宇宙船地球号(Spaceship Earth)」は資源の有限性を踏まえ、地球を閉じた宇宙船に喩えた造語。20世紀米国の建築家であり、思想家でもあるバックミンスター・フラー(1895年生、1983年没)が提唱した概念・世界観です。

フラーは1963年に「宇宙船地球号操縦マニュアル(Operating manual for Spaceship Earth)」を著し、地球の危機を訴えました。

化石燃料、原子力エネルギー、鉱物資源等を、天文学的な時間をかけて「宇宙船地球号」に蓄えられた「燃料貯金」と表現。人間がそれらを一瞬のうちに消費し尽くそうとしていることに警鐘を鳴らしています。

「燃料貯金」を、自動車で言えばバッテリー、あるいは危機時の備えと捉え、平時は風力、水力、太陽光等のエネルギーを有効活用することの重要性を指摘。平時は再生エネルギー、危機時は「燃料貯金」に頼るという考えです。

3年後の1966年、米国経済学者ケネス・ボールディング(1910年生、93年没)が「来たるべき宇宙船地球号の経済学(The Economics of the Coming Spaceship Earth)」を発表。

ボールディングは、ジョージのように資源の無限性を前提とした考えを「開かれた経済」あるいは「カウボーイ経済」と表現。

一方、資源の有限性を認識した考えを「閉じた経済」あるいは「宇宙飛行士経済」と表現。宇宙船(地球)に無限の蓄えはなく、人間はひとつの生態系(エコシステム)である宇宙船の中にいると考えました。

宇宙船では、環境問題に連動する人口増加と食料危機にも対応が必要です。人口増加は食料に関して「コモンズの悲劇」的危機を誘発します。「コモンズの悲劇」については後述します。

宇宙誕生は137億年前、地球誕生は46億年前。700万年前に登場した猿人は100万年前に石器を使い始め、10万年前に新人類が登場。人間の歴史が始まりました。

農耕や牧畜が始まったBC8000年頃の人口は100万人。それから5500年かけて1億人に達し、さらに2500年経過しAD初めに2億人に到達。つまり、1億人増えるのに2500年要しましたが、以後、人口増加ペースが加速。

AD1000年に3億人、1650年頃に5億人、1800年に10億人。ここから産業革命等の影響もあってさらに加速。1900年に20億人となり、100年で10億人増加。

化石燃料の大量消費が始まり、1960年には30億人。60年で10億人増加。そこから40億人(1974年)までは14年、50億人(1987年)までは13年、60億人(1999年)、70億人(2011年)までは各12年。今は約75億人、2050年は97億人と予測されています。

世界の人口は1分に140人、1日で20万人、1年で7千万人増加。毎年6千万人が死亡し、1億3千万人が誕生しています。人口増加は、資源枯渇、格差拡大、温暖化、自然破壊、水不足、食料不足等の問題を惹起します。

ワシントンに本部を置く「アース・ポリシー・インスティチュート」の設立者であり、思想家・環境活動家のレスター・ブラウン(1934年生)。「プランB」シリーズ(2004年初版)の著作としてよく知られています。

人間は資源を過剰消費することによって経済を拡大してきましたが、それは持続不可能なバブル。過剰消費を続けるとバブルが崩壊して世界は破綻。そうなる前に持続可能な経済・社会システムに移行することが急務。これがブラウンの主張です。

破滅を回避するために、従来通りの「プランA」から持続可能な「プランB」に移行すべきであり、人口を安定させ、貧困を改善し、温暖化を抑止する諸施策を講ずること、それがブラウンの主張する「プランB」という概念です。

プラネタリー・バウンダリーは、人間の活動がある閾値または転換点を通過した後には「不可逆的かつ急激な環境変化」の危険性があることを示す概念。「地球の限界」また「惑星限界」とも呼ばれています。

スウェーデン人科学者ヨハン・ロックストローム(1965年生)とオーストラリア人科学者ウィル・ステファンが主宰する研究グループが考案し、2009年にネイチャー誌に発表。地球にとってプラネタリー・バウンダリーが存在する9領域を定義しました。

このうち、気候変動、生物多様性欠損、生物化学変化(窒素、リン)で既に限界値越え。海洋酸性化、土地利用(人工利用)、淡水利用、オゾンホールは限界値が接近。大気エアロゾル粒子、化学物質汚染はまだ定量化できていません。

例えば、海洋酸性度は産業革命以来30%増加。人間活動で排出された二酸化炭素の25%が海洋に溶解し、サンゴ、甲殻類およびプランクトンが殻、骨格を構築する能力を阻害する炭酸を生成。

生態系の主要な種の一次的絶滅によって引き起こされる二次的絶滅(カスケード効果)により、海洋資源に深刻な影響を与えることが懸念されています。

2.コモンズの悲劇

昭和と言えば、近代化、戦争、戦後復興、高度成長。西暦的には20世紀の過半(1926年から89年)が昭和。その真っ只中で世界に警鐘を鳴らしたのがローマクラブでした。

1970年、イタリアの企業家アウレリオ・ペッチェイ(1908年生、84年没)と英国人科学者アレクサンダー・キング(1909年生、2007年没)が、資源・人口・軍拡・経済・環境破壊等の地球的課題に対処することを目指して設立しました。

1968年、世界各国の科学者・経済人・各分野の学識経験者等の約100人がローマで準備会合を開催したことからローマクラブという名称になったそうです。

地球と資源の有限性に着目し、ローマクラブが1972年にまとめた報告書の中で言及した概念が「成長の限界」。人口増加や環境汚染等の傾向が改善されなければ、100年以内に成長は限界に達すると警鐘を鳴らしました。

かつて、空気を公共財と考える人はいませんでした。20世紀後半になると、先進国と発展途上国、南北間の利害対立が先鋭化。空気は公共財になりました。

公害や温暖化等、地球環境悪化を懸念する先進国は、温室効果ガス排出量を抑制し、世界各国が生産や成長を制御することの必要性を主張し始めました。

発展途上国は先進国の身勝手な言い分に反発。公害を発生させ、環境を悪化させてきたのは先進国。これから成長を目指す発展途上国を同列に扱うのは不公平との反発です。

利害関係者が歩み寄らず、資源を浪費し、地球環境を破壊し続ければ、典型的な「コモンズ(共有地)の悲劇」に陥ります。

1968年、米国の生物学者ギャレット・ハーディン(1915年生、2003年没)が雑誌「サイエンス」に同名タイトルの論文を発表しました。

共有地である牧草地に近隣の集落や農民が牛を放牧。それぞれの集落や農民は自分の儲けを最大化するため、より多くの牛を放牧します。

自分が所有する牧草地であれば、牧草を食べ尽くさないように放牧数を調整しますが、共有地ではそうなりません。自分が放牧数を増やさなければ、他の集落や農民が増やすかもしれず、そうなれば自分の儲けが減ります。

相互に疑心暗鬼になり、全員が牛を増やし続け、結果的に牧草地は荒廃。そして、最終的には全ての集落と農民が牧草地を利用できなくなります。

ハーディンはこの事例のように、多くの者が利用できる共有資源が乱獲、乱費されることで、資源の枯渇を招く傾向を論証。この現象は「コモンズの悲劇」と呼ばれています。

1972年、環境問題に取り組む国際機関として国連環境計画(UNEP)が設立され、「持続可能な開発」という概念が登場。

1987年、環境と開発に関する世界委員会(WCSD)の報告書「我ら共有の未来(Our Common Future)」において、「持続可能な開発」とは「将来世代が自らの欲求を充足する能力を損なうことなく、現在世代の欲求を満たすような開発」と定義されました。

1992年、リオ・デ・ジャネイロで「地球サミット」(国連環境開発会議)が開催され、「気候変動に関する国際連合枠組条約」が成立し、1994年発効。

締約国の最高意思決定機関である締約国会議(Conference of the Parties、COP)は条約発効翌年から毎年開催されていますが、総論賛成、各論反対は人間社会の常。各国の利害や主張の調整は容易でありません。

1997年、COP3が「京都議定書」に合意。ところが2001年、温室効果ガス排出量世界1位の米国が、発展途上国の不参加を不満として「京都議定書」から離脱。本音は排出量規制が米国経済に悪影響を及ぼすと考えた故です。

2015年、COP21は「パリ協定」に合意。干ばつ、海面水位上昇、感染症拡大、絶滅種増加等、温暖化や異常気象の影響深刻化への危機感から、温室効果ガス排出量削減の必要性が再認識された結果です。

「パリ協定」は2016年、55か国以上及び世界の温室効果ガス排出量の55%を超える国の批准という要件を満たして発効。ところが同年秋、米国大統領にトランプが当選。トランプは温暖化そのものを否定し、2017年、「パリ協定」離脱を宣言。2001年の再現です。

2018年のCOP24では「パリ協定」の実施指針を採択。2021年、バイデンが大統領になって「パリ協定」復帰。さて、人間は「コモンズの悲劇」を乗り越えられるでしょうか。

昨年エジプトで開催されたCOP27では、最終合意文書に化石燃料の段階的廃止を記すことにサウジアラビア等の産油国が反対して紛糾しました。今年のCOP28開催地も石油大国UAE(アラブ首長国連邦)。今年も混乱が予想されます。

3.ドーナツ経済

今から11年前の2012年、英オックスフォード大学の経済学者ケイト・ラワース教授が著書「Doughnut Economics: Seven Ways to Think Like a 21st-Century Economist」を出版。日本語版は2018年に「ドーナツ経済学が世界を救う銭―人類と地球のためのパラダイムシフト」というタイトルで出版されました。

「ドーナツ経済学」の概念は難しいものではありません。自然環境を破壊することなく社会的正義(貧困や格差等がない社会)を実現し、全員が豊かに繁栄していくための思考方法、政策選択手段を示しています。

それをドーナツのようなリングの絵で表したので「ドーナツ経済学」と命名されました。簡単に言えば「ドーナツの食べられる部分」の範囲内で活動しようということです。

ドーナツより内側(中心)の空洞は、エネルギー、水、住宅等、人間が活動するために必須の物資やインフラが足りない状況を示します。つまり、社会的にかなり貧しい状態です。

一方、ドーナツの外側は地球環境に過剰な負荷がかかっている状態を示します。人間の活動による大気汚染、海洋汚染、気候変動等が原因です。

内側と外側の中間であるドーナツ部分は、社会的な貧困または欠乏状態ではなく、資源等の消費量が環境を破壊する水準には至らない状態を示します。その範囲で活動することを目指すのが「ドーナツ経済学」です。

太陽系のハビタブル・ゾーンと似ています。新環境政策と呼ばれ、サーキュラーエコノミー(循環型経済)として関心を集めています。

1990年代に学生時代を過ごしたケイト教授は「経済学を信奉した者はカッコウに騙された親鳥のようにGDP成長という目標に盲進した」と指摘しています。

「カッコウに騙された親鳥」の喩えは「托卵」のことを言っています。「托卵」とは、カッコウが自分の卵を他種の巣に紛れ込ませ、他種の鳥に温めさせる習性のことを指します。

カッコウは他種の鳥の本当の卵を巧みに巣から落とし、そのことに気づかない他種の鳥はカッコウの卵を温めて孵化させます。ちょっと酷い話ですね(笑)。

カッコウの卵をGDP目標に、他種の本当の卵を社会的正義や環境共存の価値に見立てています。少々難解な比喩ですが、要するに「人間は騙されている」「成長神話を妄信している」ことに警鐘を鳴らしています。

ラワース教授は、経済及び社会を「成長(Growth)させる」ことではなく「繁栄(Thrive)させる」ことが重要と指摘しています。繁栄とは、人間の生活そのものが豊かになることを指します。

誰もが自分の「尊厳」を保つことができること、欲することを実現する「機会」が与えられること、信頼できる「コミュニティ」が存在すること。この「尊厳」「機会」「コミュニティ」の3つが繁栄の鍵と指摘します。

「ドーナツ経済学」では、環境再生的(リジェネラティブ)であること、分配的(ディストリビューティブ)であることを重視します。

浪費的な消費を戒め、廃棄物を出さない、資源は何度もリユースする、再生可能エネルギーを活用することで環境を守ります。

また、再分配によって貧困と欠乏を回避します。国際的な不平等、不公正とともに、国内的な貧富の格差を生み出さない分配システムを推奨します。

オランダの首都アムステルダムは、2050年までに100%サーキュラーエコノミーを実現するという目標を掲げています。

2015年にサーキュラーエコノミー実現のための本格的調査を実施し、2020年、戦略立案のバックグラウンドとして「ドーナツ経済学」の考え方を採用しました。

現在も実践中であり、世界中からの視察が絶えないと聞きます。隣国デンマークの首都コペンハーゲンも2025年までにカーボンニュートラルな都市実現を目指し、「ドーナツ経済学」的な政策に取り組んでいます。

経済学徒の端くれとして、いずれフリードリッヒ・シューマッハ(ケインズの弟子)が提唱した「仏教経済学」に関して本を書きたいと思っていますが、「仏教経済学」の発想も「ドーナツ経済学」に似ています。この話題はいずれまたご紹介します。

(了)

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