日本の国会や報道は「裏金問題」で時間と労力を消費していますが、日本の状況とは関係なく国際情勢は変化し、技術革新も加速しています。昨日2月9日の日経新聞17面の「培養脳でコンピューター」「大規模化で『意識』持つ懸念」との記事を興味深く読みました。コンピューターの世界では生物であるアメーバーの行動アルゴリズムを活用する「電子アメーバー」という研究も進んでいます。政治や経済を司るうえで、技術革新や科学の最新動向をフォローすることの重要性が一段と高まっています。
デジタル化が加速しています。コロナ禍を機に急速に普及したテレワーク、クラウドやAIの利用拡大、5G(第5世代移動通信システム)の商用サービス開始、あらゆるモノがインターネットにつながるIoT、自動車の自動運転システム等々、デジタル化は世界全体のデータ量を爆発的に増加させています。
そうしたサービスや機能を維持するために不可欠なのがデータセンター(以下、DC)。サーバーやネットワーク機器を集中的に設置する建物です。関東近郊では千葉県印西市等がDC集積地となっています。
僕も日銀時代にコンピューターセンターの仕事をしたことがあります。マシンルームに多数のサーバーが並び、外部ネットワークとの接続機器、自家発電装置や冷却装置等々、重要設備が満載のセンターは重要な社会インフラです。
2010年に2ZB(ゼタバイト、「ゼタ」は10の21乗)、2018年に33ZBだった世界のデータ量は、来年2025年には200ZB近くに達すると予想されています。10年で100倍です。
仮想空間メタバース上の映像表現等に使われるボリュメトリックビデオ技術。Appleがゴーグルを発売したことからいよいよ普及期に入りますが、様々な角度から撮った映像を3次元的に再合成するため、リアルタイム中継するには毎秒数100ギガから数テラビットのデータを伝送する必要があります。
このままデータ量が増加し続ける場合、問題となるのはDCの消費電力。現時点では世界の総消費電力の数パーセント程度ですが、2030年には1割を超えると予想されています。
大量のコンピューターを擁する暗号資産(仮想通貨)のマイニング(採掘)DCやAI用のDCはとりわけ膨大な電力を消費します。
例えば、米国OpenAIのGPT3が学習で必要な消費電力は、一般的家庭の約300年分に相当する1287メガワット時です。
国内DCの消費電力は2030年に10年前の約5倍の900億キロワット時。コンピューターの計算量当たりの電力消費量は下げ止まっており、現在の技術のままではデータ量に比例して電力消費量が増加します。
データ爆発と電力、ひいては気候変動問題は連動しており、デジタル社会の進展下で電力消費をいかに抑制するかが喫緊の課題です。そのことを認識している米国GAFA等のIT大手企業は、再生可能エネルギー導入にも注力しています。
全世界の電力供給の約6割は化石燃料由来です。IT・ICT機器の消費電力を減少させる技術革新がなければ、デジタル社会の進展、DX推進は気候変動対策の阻害要因になります。
デジタル技術、IT・ICT技術は、コンピューターを担う半導体集積回路(以下、IC)の集積度を向上させることで高性能化と電力消費効率向上を両立させてきました。
ICの集積度(言わば計算速度)が「18ヶ月で倍になる」という「ムーアの法則」は広く知られています。ムーアはインテル創業者ゴードン・ムーアの名前です。
しかし近年、IC集積度を高める電子回路の微細化は物理的限界に達しつつあります。最先端のICの線幅は、原子レベルに近づいています。そのことは、計算量当たりの電力消費量の下げ止まりを意味します。
その対策のひとつである積層化技術や、電子コンピューターに代わる量子コンピューターについては過去のメルマガでも取り上げてきました。
1月30日の日経新聞1面トップは「光の半導体、日米韓連合」「NTT、インテル・SKと」「IOWN普及後押し」との見出しでした。
NTTが研究開発を進めている「光の半導体」「光電融合技術」「IOWN(Innovative Optical and Wireless Network)計画」に関する記事であり、これも「ムーアの法則」の限界をブレークスルーする代替策のひとつ。「モア・ザン・ムーア(ムーア以上)」の挑戦です。
NTT等が実用化を目指す光電融合ICは、従来のIC対比で消費電力は100分の1、データ伝送容量は125倍、遅延は200分の1となる性能を目標としています。
ICの限界、DCの電力消費量増大、気候変動対策等のためには、電力消費効率の良い新たな技術革新を起こすことが必要です。光電融合技術はそれを目指しています。
光電融合技術とは、電気信号を扱う回路と光信号を扱う回路を融合する技術を指します。電子コンピューターでは電気信号の「オン」「オフ」を切り替えることに数字の「1」「0」を対応させた「2進数」を用いて計算を実行しています。
電気は回路を流れる際に熱を発生します。PCに複雑な処理をさせると筐体が熱くなるのはそのためです。発熱すると電気の通り道の抵抗が大きくなり、計算速度は低下します。
熱を発生させずに計算速度を向上させる(高性能化させる)ために、電気で行なっていた処理を光で行います。光は電気に比べてエネルギー消費が小さく、遅延も起きにくいというメリットがあるからです。
つまり、電気回路を光回路に置き換え、省電力・低遅延を実現させます。光で信号を送る技術自体は既に実用化済みです。それは光ファイバーです。
光ファイバーは高速信号を長距離伝送できるインターネット回線です。光通信が始まったのは1980年代で、その後の約40年間で光ファイバーによる伝送速度は6ケタも高速化しています。光回路の技術の原理は光ファイバーと同じです。
但し現状は、電気回路を全て光回路に置き換えられるわけではありません。電気と光の性質は異なるので、一部の複雑な計算等は光で処理する技術が未確立です。そのため、電気と光の両方を組み合わせて計算するのが「光電融合技術」です。
電気から光への変換処理には追加的な部品が必要であり、そのことによってかえって電力消費量が増加したり、回路が大型化する場合もあります。つまり、性能向上や省エネ等のメリットが、電気と光を相互変換する追加的コストを上回らなければ光電融合技術導入の合理性はありません。
近年、光電融合技術の研究開発が加速しているのは、その課題の解決に寄与する素子が開発されたためです。ICに使用されるシリコン等に極めて小さい穴を開けた「フォトニック結晶」と呼ばれる人工構造体です。特定波長に対して光の絶縁体として機能し、「光の閉じ込め」が可能な結晶です。
電子が通る銅配線の代わりに光をシリコンに閉じ込めて通す穴「光導波路」を形成します。1nm(ナノメートル)は10億分の1メートル。フォトニック結晶では光を直径200nm(髪の毛の太さの約400分の1)の空洞に通します。
同結晶を用いるとICを超小型化でき、光が通る際の発熱量(言わばエネルギーロス)はICのサイズが小さいほど抑制できます。
NTTはIOWN計画発表の翌2020年、フォトニック結晶がIC小型化をもたらし、消費エネルギーを従来の100分の1以下に低減させることに成功したと発表しました。
NTTの研究開発ロードマップは、第1段階は計算に使うICと周辺部品を光でつなぐ技術を確立して光電融合デバイスを実現、第2段階はIC同士を光で接続、第3段階の2030年頃には光で計算する光電融合ICの実用化。
ネットクワークに加えて、PCやICの中でも光で情報を処理する段階までいくと、光と電気を相互変換する装置は不要となり、電力損耗や遅延は限りなく解消されます。
光電融合技術実現のためには、ハードに加えてソフトの開発も重要です。具体的には、開発用プログラムのパッケージである「ライブラリ」の普及が不可欠です。
過去のメルマガで紹介したグラフィックス・プロセシング・ユニット(GPU)と呼ばれる演算装置は近年、ゲーム向けなどで急速に普及。GPUというハード自体は以前からありましたが、米半導体大手NVIDIAが使い勝手の良い「ライブラリ」を提供したことが開発及び普及の契機となりました。
光電融合技術が実用化されれば、2030年までにDCの消費電力は40%以上削減可能と見込まれています。
光電融合技術の活用対象はDCに限りません。小型化・低価格化が進めば、自動車、家電製品、ロボット、スマート工場等でも活用され、脱炭素化に貢献します。
光ファイバーの開発・量産をはじめ、光を用いた技術は日本の「お家芸」的分野です。ICT 分野での遅れが目立つ日本ですが、光電融合技術は巻き返しの起爆剤になりえます。
かつてコンピューターを含む電気製品の素子が真空管からトランジスタに代わり、小型化で電力消費効率も向上し、社会や産業構造が劇的に変化しました。電気を光に変える技術、光電融合技術の実用化は、それ以上のインパクトがあるでしょう。逆戻りしないイノベーション、及びシンギュラリティ(非連続な技術革新)に繋がる可能性があります。
上述のとおり、現時点での光電融合技術の実用化は2030年頃が目標とされていますが、最近の技術革新の加速状況からすると、もっと早まるかもしれません。
実現の鍵になるのは、光と電気を相互変換する技術。OE(光-電気)変換とEO(電気-光)変換の両機能を超微小サイズに収めた光電融合デバイス(OEO変換デバイス)です。
上述のフォトニック結晶に光の通り道を設け、入力光を通す場所に受光器(OE部)、出力光を出す場所に変調器(EO部)を設置し、光と電気の相互変換を行います。
ネットワークから端末、IC等のデバイス群全てに光電融合技術を導入するのが、NTTが目指すIOWN計画です。
NTTは2020年時点で光電融合を実用化するための「光トランジスタ」「全光スイッチ」「光論理ゲート」等の技術開発に成功したと発表しています。
光トランジスタは光電転換を行う素子、全光スイッチは光信号のオンオフや光の行き先の制御装置、光論理ゲートは超高速演算処理を担います。
光電融合技術を理解するうえで重要なキーワードをいくつか整理しておきます。僕は専門家ではないので、正確ではないかもしれません(苦笑)。しかし、これらを理解する努力は必要です。キーワードを頼りにさらに理解できるように努力します。
第1は「重畳(ちょうじょう)」。畳を重ねるように情報を多層的に光に乗せること。光スプリッタや光フィルタ等で強度・周波数・位相を変換して情報を重畳します。
例えば、強度1MW(メガワット)の光は毎秒7.55×1015個程度のフォトン(光子)の流れであり、このフォトンに多数の情報を重畳させます。電子回路を遙かに超える処理速度で光やフォトンを操作します。
第2は「非ノイマン型コンピューター」。電子回路ではプログラムに基づいてデータの逐次論理演算処理を行う「ノイマン型コンピューター」が用いられています。
一方「非ノイマン型コンピューター」は同時並行的に複数の演算処理、情報処理を行います。光回路では非ノイマン型演算を行うことで電子回路を上回る処理速度を実現します。
因みに「ノイマン」はハンガリー出身の米国数学者ジョン・フォン・ノイマン(1903年生、1957年没)の名前。20世紀科学史における最重要人物の1人であり、原爆開発に関与したことでも知られています。
第3は「誤り訂正」。現在のコンピューターは逐次論理演算処理を行うことで順番に正確な計算を行う「誤り訂正」機能を備えています。その機能をICの微細化を進めることで年々向上させてきましたが、そろそろ限界。新たな方式のコンピューターが求められていますが、その代表が量子コンピューターです。
量子コンピューターは同時に多層的な計算を行うため、どのように「誤り訂正」機能を具備するかが課題です。
1つの論理量子ビット(複合体)を導入するには、非常に多数の物理量子ビット(単体)を用いて相互連携させて構成する必要があります。
その点で注目すべき発表が先月19日にありました。東大、NICT(情報通信研究機構)、理研、JST(科学技術振興機構)が論理量子ビットである「Gottesman-Kitaev-Preskill量子ビット」(以下、GKP量子ビット)を生成したと発表。その内容は米科学雑誌「Science」に掲載されました。
複数の物理論理ビットを使うことなく、1つの物理量子ビットで1つの論理量子ビットを実現できるのが「GKP量子ビット」。そして、「シュレディンガーの猫」状態を実現したそうです。
「シュレディンガーの猫」状態は量子性の高い状態を意味します。1935年にオーストリアの物理学者エルヴィン・シュレディンガー(1887年生、1961年没)が量子力学の説明のために用いた比喩・思考実験です。
箱の中の猫が「生きているか」「死んでいるか」は箱を開けてみないとわからないので、開けないうちは猫は「生きているかもしれない」し「死んでいるかもしれない」という2つの状態が併存するという難解な思考実験です。
つまり、同時に2つの状態が存在すること、同時に2つの作業を行い得ることという、量子的、光的状態を意味しています(と、理解しています<苦笑>)。
ちなみにシュレディンガーは1933年にノーベル物理学賞を受賞し、1983年から1997年までオーストリアのシリング紙幣に肖像が載っていました。
「シュレディンガーの猫」状態が実現できたということは、超高速で「誤り訂正」機能も高い量子コンピューター、光IC実現に近づいたということです。
先月30日、経産省はIOWN実現に必要な光IC研究開発に452億円の拠出を発表。NTTのIOWN計画には、新光電気、キオクシア、日本電気、富士通、古河電工、三菱電機、住友電工等、多くの日本企業が参画するほか、対中国を念頭に米インテル、韓国SKハイニックス等も連携。日米韓で光IC分野の主導権を握る戦略です。
NTT前身の電電公社時代には、電話交換機用のIC需要が日本の電機メーカーのIC事業を支えていました。1977年にはNTT自身が世界初の64キロビット超LSIメモリーの試作に成功。NTTは需要家の域を超え、IC研究開発で重要な役割を果たしてきました。
NTTはBeyond5G研究開発の各種事業にも参画しています。通信事業が本業なので当然ですが、ネットワークと先端IC双方の研究開発プログラムに関わることになります。
懸念もあります。第1に本当に主導権がとれるのか。米インテルや韓国SKハイニックス等の外国有力企業と組むことで、成果をもっていかれるのではないか。他の分野で何度も経験した日本の失態が繰り返される懸念です。
第2に市場規模。光電融合技術がネットワークとデバイス群とのインターフェース(接点)機能にとどまれば、市場規模は限定的となります。世界のIC市場規模は約80兆円(2023年)と言われていますが、限定的な光電融合ICだけでは約2兆円の市場規模と想定されています。完全な光ネットワーク・光IC実用化の成否が鍵となります。
第3に最終製品、最終サービスの覇権。光電融合は製品やサービスを実現する技術要素です。それを利用して、どのような製品やサービスを供給するか、それらの覇権を握れるか否かが重要です。
スマホのパーツには日本製品が多数使われているものの、スマホそのものの覇権は米国や中国に掌握されているという事態と「同じ轍を踏まないこと」が肝要です。
(了)