米経済紙ウォール・ストリート・ジャーナルは昨年1月3日付電子版で「日本の『失われた数10年』から学ぶ教訓」と題する記事を掲載しました。「失われた30年」の原因は日本が構造改革を行わなかったためと結論づけています。現状打開には企業や社会の「古い体質」「変われない組織風土」等の改革が必要です。毎年の「骨太の方針」はその改革のための指針であったはずですが、形骸化している印象を拭えません。今年の「骨太の方針」についてレビューします。
6月21日「2024年の経済財政運営と改革の基本方針」いわゆる「骨太の方針」が閣議決定されました。サブタイトルは「賃上げと投資が牽引する成長型経済の実現」です。
「骨太の方針」というネーミングは、2001年に宮澤喜一財務相が内閣府に設置された経済財政諮問会議の議論を「骨太」と表現したことが契機です。
当初は「聖域なき構造改革」推進が最重要課題であり、同方針が政策に与える影響は大きかったと言えますが、最近は形骸化しています。
今回の骨太方針には「デフレから完全に脱却する千載一遇のチャンス」と記されていますが、日本経済はデフレどころかインフレに悩まされている状況であり、違和感があります。
今回の骨太方針は4章構成です。第1章では今春の賃上げに触れつつ、デフレからの完全脱却と「成長型の新たな経済ステージ」への移行というビジョンを掲げています。継続的賃上げ実現は経営者のマインド次第です。
第2章では具体的施策を列挙。昨年と概ね同じ内容であり、官民一体での投資促進や労働市場改革を通じた構造的賃上げを明記。必要最低限の措置が多く、逆に言えば最低限の措置すら実施されてこなかった現実を示しています。
あえて昨年からの変化点を言えば、中堅・中小企業活性化の項目が昨年の5番目から2番目に格上げ。形式上は優先順位を高めています。
第3章は中長期の経済財政政策の枠組みについてです。財政規律を維持し、2030年迄を対象とする「経済・財政新生計画」策定を掲げ、「2040年度名目GDP1000兆円」という新たな数値目標も登場。2030年代以降も実質経済成長率が安定的に1%超を目指すとしていますが、慎ましすぎる目標と言えるでしょう。
第4章では短期的な経済財政運営や2025年度予算編成方針が示されています。第2章、第3章に沿った内容です。
注目すべきは第3章の財政規律に関する記述です。2025年度PB(プライマリーバランス)黒字化目標を堅持し、そのうえで上記のとおり2030年迄の6年間を対象とする「経済・財政新生計画」策定を謳っています。
「経済・財政新生計画」は従来の歳出改革を2025~2027年度も継続する方針を掲げています。具体的には「集中的に改革を講ずる2025年度から2027年度までの3年間について(中略)これまでの歳出改革努力を継続(139)する」と記しています。
(139)というのは脚注番号です。これを辿っていくと、結果的に「集中改革期間の3年間で一般歳出1.6兆円程度、社会保障関係費1.5兆円程度の増加。同期間の高齢化による増加分は1.5兆円程度」という結論に導かれています。脚注等で過去の方針と紐付けられ、芋づる式に上記の結論に到達している実に難解な文章構成です。
つまり非社会保障関係費増加分は3年間で1千億円以下ですから「年間増加額333億円キャップ」を定めているのと同じです。
「年間増加額333億円キャップ」を被せつつ「重要な政策の選択肢をせばめることがあってはならない」とも記して「経済あっての財政」という姿勢も強調していますが、気休めのように読めます。
財政健全化に向けて「GDPに対する債務残高比率を安定的に引き下げることを目指す」ことを6年間維持するとし、経済再生と財政健全化の両立を謳っています。既視感のある「二兎論」です(メルマガ476号<2021年12月14日>参照)。
財政論争には3つの主張があります。ひとつは、独自通貨を有する国は通貨を限度なく発行できるため、デフォルト(債務不履行)にはならず、インフレにならない限り、財政赤字は気にしなくてよい、国債はいくら発行してもよいとするMMT(現代金融理論<Modern Monetary Theory>)派です。PB黒字化の必要性も否定しています。
一方、PB黒字化を含め、財政再建を重視するのがTMT(伝統的金融理論<Traditional Monetary Theory>)派です。
両派の主張は相容れません。第1に、MMT派は国の財政状況は純資産(資産マイナス負債)で考えることが必要と主張。日本の純資産はゼロ近傍(負債と資産がほぼ同額)なので問題ないと結論づけています。
TMT派は道路、橋等の国の資産も購入者がいなければ資産価値はないと断じ、純資産がゼロ近傍だから「大丈夫」なのではなく、ゼロ近傍だから「大丈夫ではない」という真逆の主張です。
第2に、MMT派は日銀が国債を買い続けることができる(事実上の引受けができる)ため、政府は日銀に紙幣を印刷させれば財政は回り続けると主張します。いわゆる「統合政府論(アマルガメーション・アプローチ)」です。
TMT派はそもそも日銀が国債を買うこと自体に否定的です。現にTMT派である日銀は国債購入減額を決定。7月の政策決定会合で具体策が打ち出されます。
第3にMMT派は、財政赤字が拡大しているものの現に何も起きていない、インフレも発生していない、だから「大丈夫」と主張します。
TMT派は、財政悪化による円安傾向が続くと、輸入物価高を含め、制御できないインフレが発生すると主張。その傾向が現実化する場合、政府が財政再建策を発表しないと市場の「日本売り」を止められないことが、TMT派の妥当性の証左であると説明します。
これだけ真逆の主張ですから、いくら議論してもMMT派とTMT派の主張の優劣について結論が出るはずありません。これに対して、筆者は3年前からRMT(現実的金融理論<Realistic Monetary Theory>)を提唱しています。
財政状況が「悪い」よりは「良い」方が望ましいことには誰もが賛同すると思います。だからと言って財政再建を今すぐ実行できるはずはありません。経済状況を悪くしてでも財政状況を改善するという対応は本末転倒です。そして、日本は純資産がゼロ近傍だから「大丈夫」か「大丈夫ではない」かは後者に分があると思います。
日本の資産に占める金融資産の割合は約47%、残り約53%は非金融資産です。橋、道路、山林等の国の非金融資産は、誰かが購入してくれないと価値はありません。国民が購入するとも思えず、だからと言って諸外国(中国等)に売却する訳にもいきません。市場価値が保障されている金融資産は半分弱に過ぎず、実質的にはゼロ近傍ではないです。
以上を踏まえると、この局面では財政出動、積極財政を維持できるような工夫をしつつ、一方では異常な金融緩和による財政ファイナンスを是正する意思表示、市場に対するメッセージを発することが必要です。
そこで、日銀保有国債の一部を永久債化することで積極財政のための財源確保を図ることを提唱しています。日銀は約500兆円の国債を保有していますが、そのうち一定量は資産として保有し続ける必要性があり、言わば「根雪」のような存在です。
「根雪」部分を政府が発行する永久債に入れ替えていくと、政府の元本返済負担はその分減殺されます。
そこで確保した財源で、人材育成、企業支援、技術革新等に時限的、集中的に投資することで、その後の成長と税収増の歯車を回し始めることを内外に示します。示すだけでなく、実際にやらなくてはなりません。
正解のない極論同士のTMT派とMMT派。財政再建を目指しても、それでは結局財政再建ができないという論理矛盾。一方、永久に財政拡大策を続けるには、その財源を生み出し続ける成長が必要という現実。打開策はRMT派的工夫しかありません。
今回の骨太方針には円安対策として「リパトリ減税」が盛り込まれるのではないかと期待されていましたが、結局明記されませんでした。
「リパトリ」とは英語の「repatriation」の日本語読みの略称で「本国への資金還流」を差します。「本国への資金還流」とは、海外で得た利益の本国への送金、海外子会社資金の本国への引き揚げ、海外の資産売却等に伴うもので、自国通貨の上昇要因になります。
米国ではかつて、法人所得の源泉が国内外どちらであっても全てを課税対象とする全世界所得課税が原則でした。そのため、米国企業の海外子会社が利益をあげた場合、所得源泉地国での課税に加え、当該利益を米国に送金する際にも課税され、源泉地国と本国で二重課税されていました。そのため、米国企業は二重課税回避のために海外子会社の利益を本国に戻さない傾向が定着していました。
当該資金を「リパトリ(国内還流)」させる際に課される法人税率等を引下げる等の対応が「リパトリ減税」です。海外滞留資金を国内に還流させ、設備投資や雇用拡大等に資する目的で用いられる税制です。
2005年、ブッシュ政権は1年限定の「本国投資法(HIA)」でリパトリ減税を実施。還流資金の税率を35%から5.25%に引下げ。その結果、同年の米国法人税収額は約3000億ドルに増加。前年は約1900億ドル、前年迄の3年間平均は約1500億ドルでした。
リパトリに伴う資本フローは外貨売りドル買い。為替市場においてはドル高傾向が顕現化し、2004年末に1ドル103円台だった対円相場は2005年末には118円台となり、名目実効及び実質実効ベースでドルは6%以上上昇。米国内に還流した資金の約80%が自社株買いに向かい、株価も上昇しました。
2017年、トランプ政権では約30年ぶりとなる税制改革が行われ、12月22日に税制改革法案(Tax Cuts and Jobs Act)が成立。全世界所得課税は廃止され、源泉地国課税を導入。リパトリ減税が恒久化され、米国企業の海外子会社は所得源泉地国でのみ課税され、リパトリ資金は本国で課税免除となりました。
時限措置ではなく、恒久措置であったため、駆け込みリパトリの誘因は小さく、2018年の法人税収額は約2000億ドルに減少(前年約3000億ドル)。法人税率を35%から21%に引き下げたこと等も影響しました。
為替市場にもドル高効果はなく、2017年末の米ドル円相場は約113円だったのに対し、2018年末は約110円に下落。米金利上昇への警戒感や米中貿易摩擦激化への懸念等から投資家がリスク回避姿勢を強め、リパトリ減税の効果を相殺した結果と考えられます。2018年末のNYダウ平均株価も前年対比で約6%下落しました。
とは言え、一般論としてレパトリ減税には次のような効果が期待されます。
第1に企業の有する国外資産の国内還流。第2に国内還流による設備投資や雇用等への好影響(内需拡大要因)。第3に自国通貨高、国内株高等を誘発します。
こうしたことから、円安対策として骨太方針にリパトリ減税が記されるのでないかとの見方が浮上していたのです。
ただ、日本では2009年度税制改正で既に株式保有割合25%以上の海外子会社から受ける配当の95%相当額を非課税所得とすることを認める「外国子会社配当益金不算入制度」という優遇策を導入済。海外子会社の所在国と日本での二重課税を防ぎ、海外稼得利益の日本還流促進が目的でした。
しかし、海外稼得利益の大半は日本より金利が高く成長余力がある海外で再投資されているのが実情です。
残り5%部分を非課税にしても大きな効果は期待できないという意見と、残り5%であっても国内還流が増えることはプラス効果が期待できるとの意見の両論がありました。
海外子会社のリパトリ資金への課税は、米国、英国、シンガポールは100%非課税(株式保有割合は米国で10%以上、シンガポールで15%以上、英国でゼロ%以上)独仏でも95%以上非課税(同割合は独10%以上、仏5%以上)です。日本の95%非課税が特別優遇されているとは言えません。
円安対策としての為替介入や利上げは即効性がありますが、市場の基調を変えるには対内直接投資策やリパトリ減税等も有用です。中でもリパトリ減税は他国への影響が大きい為替介入と異なり、自国企業の資金を国内に還流することで経済を活性化させ、かつ円買いを促して円安是正も図れる「正攻法」です。
「海外事業活動基本調査」によれば日本企業の海外内部留保利益は50兆円超であり、日本企業が海外稼得利益をそのまま外貨で再投資してしまう傾向は年々強まっています。企業が日本国内は期待収益率が高い投資機会に乏しいと考えている証です。
リパトリ減税でも資金還流が起きないことを想定し、還流資金を国内の賃上げや設備投資に使った企業に税優遇や補助金を与える等のインセンティブ策も俎上に上っていました。
あるいは、海外稼得利益を一定期間内に国内還流させなければ税率を倍にする等のディスインセンティブ策も考えられます。
さらに「戻さないのなら二度と戻せなくする」という強硬策を主張する向きもありましたが、いずれにしても今回の骨太方針には盛り込まれませんでした。
リパトリ減税に求められているのは内外金利差縮小や日本経済復興によって基調的に円安傾向が是正されるまでの「時間稼ぎ」です。一定の効果は期待できるでしょう。
もうひとつ考えられるのはNISA(少額投資非課税制度)に国内投資枠を創設とするという案です。周知の通り、最近の円安傾向には新NISAでの海外証券投資、いわゆる「家計の円売り」が寄与していることは否定できません。
国民に投資を促した去年の骨太方針決定後のメルマガ514号(2023年7月12日)の懸念が不幸にして的中しました。該当部分の概要は以下のとおりです。
約2000兆円の家計金融資産の95%以上は円建てです。その一定割合が外貨建て資産にシフトすると大きな円安圧力を生み出します。例えば、2022年末時点で家計は約1110兆円の現預金(円建て)を保有。うち10%がドル等外貨預金に移ると、110兆円規模の円売り。これは2022年経常黒字の約10倍に相当します。投資を促された国民がドル資産投資に腐心する一方で政府がドル売り介入する事態に至れば、背信行為であり、論理矛盾です。
残念ながら上記のとおりの展開になっています。投資信託経由の対外証券投資は今年1~4月期だけで約4.3兆円。これは過去10年の年間平均に匹敵する規模です。
このペースで投資信託経由の対外証券投資が続くと年間10兆円超の円売り圧力。仮に経常収支が黒字になっても、それを帳消しする規模です。
今後も対外証券投資は強含みが予想されます。そこで新NISAに「つみたて投資枠」「成長投資枠」に加えて「国内投資枠」を創設することが考えられます。
最近の政府による為替介入等の動きを眺め、円安是正を予想する投資家には「国内投資枠」は絶好の受け皿になるでしょう。
「国内投資枠」が創設された分、国民が新規投資資金を増やせば「家計の円売り」規模は変わりません。しかし、現行の年間360万円(つみたて投資枠120万円、成長投資枠240万円)枠を全て使い切る個人投資家は少なく、そうした展開にはならないでしょう。
金融庁のNISA口座利用状況調査(今年3月末)を見ると、口座数2322万7848、買付額6兆1791億2751万円。単純計算で1口座当たり約26万6千円です。2014年から始まった旧NISA(年間120万円)ですが、10年経ってこの規模です。「国内投資枠」はやはり為替リスク回避的な国民には一定のニーズがあると思います。
「国内投資枠」に向かう投資は対外証券投資(円売り)減少圧力となり、円安抑止効果を発揮するでしょう。
同様の自国通貨防衛の動きは他国でも始まっています。今年4月、英国はNISAのモデルでもあるISA(個人貯蓄口座)に関して、英国株投資の非課税枠を現在の年間2万ポンドから2万5000ポンドに引き上げました。
ポンド防衛、国内企業支援を企図した英国のこの施策は日本の参考になります。家計部門の投資資金が、国外ではなく国内へ投資される割合が増えれば、日本株は上昇し、円売りも抑制される一石二鳥の施策です。
「家計の円売り」に伴う円売り圧力緩和策は、利上げや為替介入は元より、前項で記したリパトリ減税やNISA国内投資枠等々、複合的な工夫が必要です。
「家計の円売り」圧力を今のうちに是正する施策を講じないと、企業の対外保有資産と同様に、家計の国外資金も国内には回帰しない根雪のような存在になるでしょう。
新NISAによる家計投資以外も含めた投資信託を通じた今年上半期の海外株式・ファンド買越額は6.2兆円と、同期間の貿易赤字額(約4兆円)を上回っています。
構造的円売り要因のひとつとして貿易赤字が指摘されてきましたが、家計による海外投資はこの金額を上回っており、貿易赤字と並ぶ円売り要因です。
投資信託による買越額は銀行(2207億円の買越し)を上回り、9兆4380億円の売越しになっている年金の動きを相殺する格好です。別の見方をすれば、長期投資指向の家計は年金等プロ投資家の益出しに貢献しているとも言えます。
家計のこうした動きの背景には、インフレをきっかけに貯蓄から投資への流れが加速していることがあります。国内の消費者物価指数(CPI、生鮮食品・エネルギー除く)の前年同月比の上昇率は2022年秋以降、2%を超えて推移。日銀が目指す「2%の物価上昇目標」を上回ります。
国内には2%の利回りを得られる金融商品は少なく、大半の銀行の預金金利は定期(1年、300万円以上)、普通ともに0.1%を下回ります。日経平均株価の予想配当利回りも1.75%とインフレに負けます。
日本の居住者がドル建ての株式や債券に投資する投信を為替ヘッジなしで購入すると、円売り圧力になります。利益確定資金を日本に戻せば将来的な円高要因になりますが、NISA等でも長期投資を前提にした投資行動が定着する中では円高要因は期待薄です。
「家計の円売り」を主因とする月1兆円ペースの円売り圧力を和らげるためには、株式等の国内金融商品の期待利益率、要するに投資妙味を高めることが欠かせません。
そのためには経済や企業の成長が前提であり、アニマルスピリッツ旺盛な起業家、企業家、事業家の勃興が不可欠です。そういう流れになるように、後押ししていきます。
(了)