前回のメルマガから2週間の間に、日向灘地震に伴う「南海トラフ巨大地震注意」発令、8月5日・6日の株価の急落急騰、14日の岸田首相の退陣表明。一寸先は闇ですね。株価下落は海外にも波及し、巨大テック銘柄7社「マグニフィセント・セブン(MAG7)」の時価総額は一時2割近く(約400兆円)減少。AI(人工知能)相場に陰りが出始めたとも言われています。この件の分析は別の号で行うこととして、今回は8月5日・6日の株価の急落急騰について整理しておきます。
年初に3万3000円台だった日経平均株価は上昇基調が続き、2月にバブル期の史上最高値を上回り、3月に4万円突破。7月11日には4万2426円の最高値を記録しました。
しかし僅か1ヶ月後の8月5日、今年に入ってからの上昇分が帳消しになる過去最大の4451円安に見舞われました。翌6日の過去最大の反騰3217円高とともに市場の歴史に刻まれました。
5日午前9時、東京市場の取引開始直後から全面安となり、約15分で株価の下落幅は2500円超え。若干買い戻しの動きが出て、前場終値は前週末より1662円安い3万4247円。
前場には東証株価指数TOPIXの先物やオプション取引で「3.11」に伴う混乱時以来13年振りにサーキットブレーカー(取引停止措置)が発動されました。
後場に入ると外為市場で一段と円高が進んだことや、米国の主要株価指数先物が値を下げたこと等から売り注文が増え、株価下落はフリーフォール(歯止めがかからない)状態になりました。また、相場混乱をチャンスとみた投機筋による売り注文が膨らんだことが下落に拍車をかけました。
午後2時20分過ぎ、全面安の展開。株価下落幅は、世界的に株価が暴落した1987年ブラックマンデーの翌日につけた3836円を超えて過去最大になりました。
その後も取引終了にかけて下落は続き、午後3時終了。結局、終値は前週末比4451円安の3万1458円。過去最大の下落幅を記録しました。
後場には大阪証券取引所でも日経平均先物でサーキットブレーカー発動。日経平均先物でサーキットブレーカーが発動されるのは英国の混乱(EU離脱賛否を問う国民投票)を巡って株価が急落した2016年6月24日以来、約8年振りでした。
東京証券取引所は東証株価指数TOPIXに採用されている企業を33業種に分類して株価指数を算出しています。
5日は33業種全てが6%超の下落率となり、中でも銀行業17.3%、証券・商品先物取引業16.5%、保険業17.6%と大きく下落。株価下落の収益への影響等が懸念され、金融関連銘柄で下落が目立ちました。
総合商社を含む卸売業15.1%、自動車メーカーを含む輸送用機器14.4%の下落。円高進行による円ベースでの収益悪化、採算悪化の懸念が株価下落につながりました。さらに、好調を維持していた半導体関連等を含む電気機器や精密機器も10%超の下落となりました。
東京市場の動きはアジアの他市場にも波及し、韓国8.7%、台湾8.3%の大幅下落。韓国では5日後場に一時10%超の下落となり、やはりサーキットブレーカーが発動されました。豪州シドニー市場は3.7%、中国上海市場は1.5%の下落でした。
日本時間夕方以降の5日欧米市場でも株価は下落。独フランクフルト市場2.3%、英ロンドン市場2.2%、仏パリ市場2.1%、米NY市場3.1%の下落。アジア市場の流れを受けてリスク回避姿勢が鮮明化しました。
米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは「歴史的下落」との見出しをつけ「日経平均株価は7月に記録的な高値に達したが、5日に歴史的下落を記録して弱気相場の局面に入った」と報じました。
米紙ニューヨーク・タイムズは「世界中の市場が動揺」という見出しをつけ、米国経済減速懸念の影響に焦点を当て「株価下落は特に日本で顕著だった。世界経済への警戒感に加え、円高が企業収益に与える打撃への懸念が加わった」と伝えています。
米CNNテレビは「パニック売りを防ぐため、変動幅が大きい時に売買を一時中断するサーキットブレーカーが東京とソウルで複数回にわたって発動された」として、サーキットブレーカー発動に焦点を当てていました。
翌6日は上記のとおり過去最大の過去最大の反騰3217円高。そして5日以降、昨日16日までの2週間(8営業日)は7騰1落。8月8日のみ下落しましたが、現在は5連騰。昨日16日は3万8千円台を回復しています。今後の展開は予断を抱けませんので、今回の歴史的下落の背景をよく分析しておくことが必要です。
8月5日株価急落の要因はいくつか指摘できます。それらはいずれも「要因」ではありますが、その「背景」には市場がバブル的状態になっていたことが影響しています。つまり、以下の「要因」は株価急落の「契機」です。
第1は米国景気の先行き懸念。株価急落の前週に発表された複数の米国経済指標が市場予想を下回り、とりわけ2日(金)に発表された雇用統計を材料にNY市場で株価下落。それが週明け5日(月)東京株式市場での売り材料となりました。
第2は政府日銀の政策変更と円高ドル安(円安修正)。7月31日(水)の日銀政策決定会合で追加利上げが決まり、記者会見では植田総裁がさらなる利上げの可能性に言及。翌8月1日(木)、米国FRB(連邦準備制度理事会)のパウエル議長は記者会見で早ければ9月FOMC(米連邦公開市場委員会)での利下げの可能性に言及。日米中央銀行トップの「逆向き発言」は日米金利差縮小を予感させ、円高(円安修正)が一気に進みました。
円相場は7月上旬には161円台でしたが、その後はジリジリと円高が進行し、31日の植田総裁会見前には152円台に上昇。そして、5日東京市場では上述のような材料を背景に午後3時頃に141円台まで急伸しました。
今年度上半期の輸出企業の想定円相場(決算時の想定値)約145円を超えて円高が進んだために輸出企業等の業績悪化が連想され、これも株安に拍車をかけました。
さらにGW以後の為替介入、及び当局の円相場に対する姿勢が伏線になっていました。
7日(水)、財務省が4~6月の日次ベースの為替介入実績を公表。それによれば、4月29日5兆9185億円、5月1日3兆8700億円の円買いドル売り介入を実施。4月29日の介入額は1日の規模として1991年4月以降で最大。
両日の介入は取引が少ない時間帯に実施されました。4月29日はGW前半の祝日にあたり、日本の市場参加者の多くが休暇入り。また、5月1日の米FOMC後、日本時間の2日早朝にも介入を実施。NY市場参加者が取引を終え、東京市場参加者もまだ少ない時間帯です。東京市場のメインプレーヤーが少ない時間帯、つまり取引が薄い時間帯を狙った為替介入は、より少ない金額で効果的に円相場を押し上げるためです。
当局側のそうした工夫も奏効し、4月29日早朝の160円台からFOMC後には153円台、5月3日の米雇用統計発表後には151円台まで上昇。ここまでの介入は成功でした。
しかし円安修正の動きは長続きせず、6月に再び160円台超の円安が進んだものの、7月11日と12日に再び円が急伸。ここでも円買いドル売りがあったようです。この介入実績もいずれ財務省の発表で確認できます。
為替介入を巡る上記のような動きを眺め、投機筋が円売りに徐々に慎重化していた中、そのタイミングで迎えたのが上記7月31日以降の日米当局の一連の動きです。
第3に、ここまで株高、円安を牽引してきた投資家が、第1、第2の要因等を踏まえ、日本株や円に対する投資姿勢を修正したことです。そうした変化から、日本の「超低金利・円安」という環境を前提にリスクを取り過ぎていた投資家の姿が浮かび上がります。
ウォール街では楽に稼げる取引を「FLT(フリーランチ<タダ飯>トレード)」と呼んでいます。FLTが肥大化すると、その後に大きな調整が起きるのが市場の常です。
投資家にFLTの機会をもたらしてきたのは日銀の超低金利政策でした。コロナ禍下で同じように低金利政策を行っていた欧米諸国はインフレ対策もあって2022年以降に次々と政策転換。最後に残ったスイスも金利引上げに転じ、日本の低金利は際立っていました。
その結果、円を低金利で借り、米ドルや新興国通貨等の高金利通貨に投資する「円キャリ―取引」というFLTが肥大化。主なフリーライダーはヘッジファンド等の投機筋やFX(外国為替証拠金取引)を手掛ける個人投資家等です。円キャリー取引の肥大化はバブル的状況を助長し、外為市場で円売り圧力になっていました。
米ドル保有の投資家が日本株購入時に円変動リスクに備える「為替ヘッジ」を組み合わせると、実質的には低金利の円を借りて高金利のドルを貸す取引になります。日本株の値上がり益とともに、日米金利差が安定収益化していました。
円資金の貸手も海外金融機関が中心になっていました。日本の政府系ファンドも円キャリ―取引を行っていたという情報もあります。この点は23日(金)に予定されている財政金融委員会の閉会中審査で確認します。
投資家の潜在意識には、日銀は利上げに動けず、為替相場の急変動はないという「過信」「安心感」も醸成されていました。その結果、借入で元手を膨らませるレバレッジを駆使して株や為替の先物に投資する投資家も増えていました。
CFTC(米商品先物取引委員会)の統計を見ると、円キャリ―取引の規模を示す円売り持ち高は7月上旬時点で約2兆円と17年振りの規模に拡大。ところが日米中央銀行トップの逆向き発言を契機に損失回避のための円買戻しが急増。その後、円売り持ち高は6~7割減少しました。
ファンド等の投機筋のみならず、個人も大きな損失を被ったと思います。5日後場に株価が下げ幅を拡大させたのは、損失回避や証拠金確保のための換金売りの動きです。
個人も資金を借りて投資する信用買いを膨らませていました。7月26日時点で信用買いが5兆円弱と18年振りの高水準に達していたため、保有銘柄が大幅に値下がりした結果、担保に当たる証拠金の追加拠出を求められました。いわゆる「追証」です。某証券会社ディーラーから5日に発生した追証件数は株価急落前と比べて10倍以上と聞きました。
株価は世界的に下げましたが、アジア市場の中で取引の流動性が高く、投資家にとって「売りやすい」ことが影響し、日本の下落が突出しました。東京市場でアルゴリズム取引(後述)の割合が高まっていたことも「売りが売りを呼ぶ」展開につながりました。
今回の円キャリー取引活発化は2022年に始まりました。ロシアのウクライナ侵攻に端を発して世界のサプライチェーンが影響を受け、インフレ圧力が高まったことが背景です。FRBも利上げを余儀なくされ、円売りドル買い圧力が高まりました。1990年代後半や2007年前後に続く円キャリ―取引の第3次ブームです。
円キャリー取引が転換点を迎えたことで、今後は円高方向の動きが出やすくなります。過去2回は、円キャリー取引が沈静化した後には大幅に円高に振れました。ウクライナ侵攻が始まった頃は114円台でしたので、そこまで反騰しても驚きではありません。
例えば、CFTCの円売り持ち高が2024年とほぼ同水準まで膨らんだ2007年の安値は124円台。売り持ち縮小で107円台まで上昇した後、リーマン・ショックが起きた2008年には87円台まで円高が進行しました。
1998年の「LTCMショック(米ヘッジファンドLTCM破綻)」前も活発な円キャリー取引が行われ、円相場は147円台まで下落。しかし同ショック後は3ヶ月で113円台まで上昇し、翌年には101円台に到達しました。
今回はどうでしょうか。過去2回と同様に円高が進むとは言い切れません。今回の円安の背景には、日本経済の構造的弱体化に伴う「日本売り」の傾向も影響しているからです。この点については、過去のメルマガを参照してください。
過去の株価急落局面では落ち着きを取り戻すのに一定の時間を要しています。米中摩擦警戒感から株価が下落した2018年初には相場動向が安定するまでに3回の安値をつける「3番底」の展開になりました。コロナ禍で市場が動揺した2020年は急落前の水準回復に半年以上を要しました。8月5日以降の7騰1落はよいことですが、市場の底層で何が起きているかは凝視することが必要です。
また、円相場も株価もボラティリティ(変動確率)が高くなっているので、投機筋の動きにも要注意です。暫くの間、投機筋が短期的取引で利益を捻出すべく、先物取引や空売り等で市場を攪乱する展開が続くでしょう。
何の前触れもなく突然相場が大きく動くこと、ごく短時間に相場が急落急騰することを「フラッシュクラッシュ」と言います。8月5日の東京市場ではフラッシュクラッシュ的な動きも起きていました。
フラッシュクラッシュの原因の代表格はヒューマンエラー、スプーフィング、アルゴリズム取引です。
ヒューマンエラーは投資家、ディーラー、トレーダーが注文を出す際に不注意で余分な数字を入力したり、間違った価格で注文を出してしまうことです。例えば、「0」をひとつ多く入力して桁違いの注文を出すような人為的ミスです。こうしたエラーは「ファットフィンガーエラー」とも呼ばれます。「指が太すぎて余計なキーを触ってしまう」という意味だと思います。笑えるネーミングですが、被害に遭う側は笑えません。
「スプーフィング」の「Spoof」は「騙す」「担ぐ」という意味であり「スプーフィング」は「相手に真実でないことを信じ込ませて騙す」取引行為です。「見せ玉」とも言われます。
例えば、現在の市場価格からかけ離れた水準で大量の売り注文を出し、その価格がヒットする前にキャンセルする行為です。錯覚や価格下落懸念を誘発し、他の投資家が売り注文を出すように駆り立てます。
スプーフィングを行う当事者が売り注文をキャンセルせず、より低い価格で買い注文を出しておくケースもあります。価格下落を自ら誘発し、安値買い、高値売りを仕込んで差益を狙います。言わば相場操縦です。
アルゴリズム取引(コンピューター取引)も原因のひとつです。予めプログラムされた論理に従ってコンピューターが自動的かつ超高速で取引を行います。ひとつのアルゴリズム取引が他の投資家が設定したアルゴリズム取引のトリガーとなり、売りが売りを呼ぶ展開になります。この連鎖に陥るとフラッシュクラッシュが発生します。
アルゴリズム取引は予期せぬ価格急落を招く一方で、その後の急回復の原因にもなります。他のアルゴリズム取引が価格を割安と判断し、買い出動するからです。
アルゴリズム取引によるフラッシュクラッシュは、僕が日銀の市場担当時代の1980年代後半から1990年代前半には既に発生していました。しかし、その後のコンピュータや市場システムの発展により、フラッシュクラッシュの懸念は格段に高まっています。
他の原因としては「取引量が少ない時間帯」の存在です。取引量が少ないということは流動性が低いということであり、大量注文で価格が大きく変動します。取引量が少ない時間帯を狙った為替介入は、言わば当局によるフラッシュクラッシュです。
市場関係者に語り継がれているフラッシュクラッシュの事例がいくつかあります。2010年5月6日にNY証券取引所の株価指数取引でフラッシュクラッシュが発生。わずか10分で約1兆ドルの市場価値を喪失しました。
火付け役は「ハウンズローの猟犬」「フラッシュクラッシュ投資家」と呼ばれていた英国人投資家ナビンダー・シン・サラオ。自身が開発したアルゴリズム取引を駆使して「スプーフィング」を行い、数百万ドルの利益を獲得。2015年に英国で逮捕、米国へ引き渡され、2019年に懲役1年の判決を受けました。
2014年10月には米国債券市場で「グレートトレジャリー・フラッシュクラッシュ」が発生。わずか12分で米国10年債利回りが1.6%急低下し、その後1.6%急騰。米国規制当局は1年後に報告書を発表し、主因をアルゴリズム取引としました。
フラッシュクラッシュの間に成立した売買の多くはアルゴリズム取引を駆使する投資家間で行われ、中には自分自身と取引しているケースもありました。アルゴリズム取引によって発生したこのフラッシュクラッシュは、結局アルゴリズム取引によって解消されました。
2015年8月にはNY証券取引所ダウ平均が再びフラッシュクラッシュに見舞われました。サーキットブレーカーが作動し、同日中に下落分を回復する展開となりました。翌9月には英国ロンドン証券取引所で株価指数FTSE100がフラッシュクラッシュで急落。ファットフィンガーエラーと流動性低下の相乗効果で発生したと考えられています。
2016年10月には英ポンドがフラッシュクラッシュ。英ポンドは一気に6%下落し、数時間後に元の水準を回復。原因はファットフィンガーエラーとアルゴリズム取引と言われています。流動性の低い時間帯で発生しました。
この際のアルゴリズム取引はネットニュースやソーシャルメディアに反応しました。当時の英国メイ首相とオランド仏大統領のブレグジットに関連した発言が報道され、その内容が英国にとって悲観的とアルゴリズムが評価し、大量のポンド売りを実行しました。
ブロックチェーンと暗号通貨(仮想通貨)が普及し始めた2017年にはイーサリアム(暗号通貨のひとつ)でフラッシュクラッシュ発生。イーサリアム価格が数百万ドルの売り注文を契機に数秒間で319ドルから10セントに急落し、その日のうちに下落分以上に上昇する展開となりました。この年には、銀の市場でもフラッシュクラッシュが発生しました。
2019年には豪ドルがフラッシュクラッシュ。発端は中国経済の先行きを懸念したアップル社のプレスリリース。当時の豪州は資源取引等において中国との経済関係が深く、豪ドルは中国リスクに敏感に反応。豪ドル円買いの動きにつながりました。このフラッシュクラッシュも日本市場が休みのタイミング、つまり流動性の低い時間帯で発生しました。
投資家や取引所はフラッシュクラッシュに対抗するためにサーキットブレーカー(取引停止措置)を駆使するほか、応戦用のセーフガードアルゴリズムも開発しているようです。
ボラティリティ(価格変動確率)が拡大する局面を儲けるチャンスと考え、フラッシュクラッシュを好む投資家もいます。また、アルゴリズム取引の主流はボラティリティ拡大がプログラム発動基準になっているとも聞きます。
世界の金融証券商品市場のベースにバブル的環境(金融緩和の影響)が継続している中、今後もフラッシュクラッシュには要注意です。
(了)