藤田医科大学にリベラルアーツセンター(Fujita Liberal Arts Center、FLAC)が設置され、センター長を拝命しました。これを機に、リベラルアーツに関する自身の基本的な認識、医学とリベラルアーツの関係等について整理してみました。古代ギリシャ。ローマにルーツを有するリベラルアーツですが、最近では大学等の教育機関のみならず、企業の研修等でも関心が高まっているようです。
リベラルアーツ(Liberal Arts)とは、幅広い分野に跨る学問・知識と、それらを統合して思考する力を養う教育理念を指します。直訳すれば「自由の学芸」であり、古代ギリシャ・ローマ時代において「自由に生きるために必要な教養」として発展しました。
現代においても、この流れを受け継ぎ、個人の知的自立や論理的思考、倫理観、コミュニケーション能力などの涵養を目的とした教育がリベラルアーツとされています。
リベラルアーツの歴史的起源は、古代ギリシャの哲学者プラトンやアリストテレスの教育観にまで遡ります。当時、都市国家の住民は政治や議論に参加するため、論理的思考、修辞、数学、音楽、天文学等々の多様な分野の素養を身に着ける必要がありました。
これらは中世ヨーロッパの大学教育の基礎となり、文法、修辞、論理の「三学(Trivium)」と、算術、幾何、音楽、天文学の「四科(Quadrivium)」の「自由七科(Seven Liberal Arts)」として定着しました。
近代に入ると専門教育が重視され始めましたが、欧米の高等教育機関ではリベラルアーツも尊重され、人文科学・社会科学・自然科学の3分野を通じた全人的教育を指向し続けました。
日本でも明治以降の大学教育において、欧米の影響を受けて教養課程としてリベラルアーツ的要素が取り入れられましたが、戦前・戦争期・戦後復興期・高度成長期を経る過程で、専門教育偏重の傾向が強まりました。
その後、21世紀に入ってリベラルアーツが再評価されています。その理由のひとつは、技術革新や国際情勢の変化が著しく、特定の技術や知識に依存することのリスクが高まっているからです。
IT化、自動化、ロボット、AI等の影響は大きく、職業の内容や求められる能力の変化も加速しています。そうした中で、専門分野に偏らない多角的な視座を持ち、自ら考え、学び続ける力を育むリベラルアーツは重要性を増しています。
もうひとつの理由は、複雑化・グローバル化する現在社会では、異なる文化的背景を持つ人々と協働し、価値観の違いを乗り越えて問題を解決する力が求められるからです。哲学や倫理学、歴史学、社会学といったリベラルアーツの諸分野の素養は、そうした対話や共感の基盤となります。
さらに、リベラルアーツは人間の本質を探究することにも繋がります。文学、芸術、宗教、哲学等の分野を通じ、生死、善悪、美醜、人生の意味等々の根源的な問いに向き合うことは、人間的成熟をもたらします。
リベラルアーツは単に「広く学ぶ」ことを意味するものではありません。重要なのは、学ぶこと、知ることによって多角的な視座を身に着けることです。また、異なる分野の関係性や相互作用に関する洞察力、直感力を得ることです。
議論や論述など、対話的・能動的な学習を重視するのもリベラルアーツの特徴です。自分自身の意見を明確にし、他者と議論する中で新たな視座を得るという知的プロセスを重視するためです。
リベラルアーツは専門教育と対立するものではありません。専門知識は時代と共に変化しますが、論理的思考力、批判的分析力、創造力、倫理的判断力等の能力は普遍的です。専門知識を扱ううえで有用かつ有益な素養と言えます。
欧米の大学では、初期段階でリベラルアーツを学び、その後専門分野へ進むカリキュラムが主流です。多角的に思考したり、議論できる人間的土台を築いたうえで、専門的・職業的な訓練や学習に進むべきという理念に基づいています。
日本ではリベラルアーツが「教養科目」「一般教養」と捉えられる傾向が強く、「専門性が身に付かない」「就職に役立たない」といった評価も聞きます。企業や組織、あるいは家庭までもが短期的成果を求める指向性が強く、リベラルアーツと親和的でない社会の体質も影響しています。
その一方でリベラルアーツを重視する大学や企業も増えており、変化の兆しも見られます。そうでなければ技術革新や国際競争に耐えられる人材を育成できない現実に直面している故の必然的変化と言えるでしょう。
社会人教育においても、哲学や歴史、科学技術の講座が思考能力向上に資することが注目され、リベラルアーツは「学び直し(リスキリング)」の一環としても活用されています。
以上を総括すると、リベラルアーツとは人間が自由で豊かに生きるための知的基盤を育む教育と言えます。変化の激しい現代社会において、実務能力だけでなく、物事を深く理解し、多角的な視座から洞察し、判断する能力が重要です。リベラルアーツは、そうした能力を育てる教育と言えるでしょう。
リベラルアーツに関連して「STEAM」という新造語も定着しました。科学(Science)、技術(Technology)、工学(Engineering)、芸術(Art)、数学(Mathematics)の頭文字です。
「STEAM」の現状と変化に対する関心と理解なくして、現代におけるリベラルアーツは成り立たないという含意があると思います。
「M」は医学でもいいような気がします。数学も重要ですので、この際「M」を重ねて「STEAM2」というさらなる新造語を提案しておきます。
医学は科学技術によって大いに進歩してきました。とりわけ科学技術の進歩の加速に伴い現代医学は日進月歩の勢いです。
しかしその一方、臨床現場では「人間を診る力」がより一層問われるようになっており、その観点からリベラルアーツの重要性が再認識されています。
前項で記したとおり、リベラルアーツは単なる教養ではなく、人間理解・倫理・コミュニケーション・判断力等々、医師にとって重要な素養を育むものです。いくつかの具体的理由を考えてみます。
第1に「人間を診る」ために必要だということです。医学教育の中心は、解剖学、生理学、病理学、薬理学等の自然科学です。これらは疾患の診断・理解・治療に不可欠であり、医師が科学的根拠に基づいて医療を行うことに繋がります。
しかし、医療とは「病気を治す」だけではなく「人間を診る」行為です。患者はそれぞれ精神的、社会的、文化的な背景を持つ人間であり、医師にはその全体を理解することが期待されます。ここで求められるのがリベラルアーツを通して養われる視座です。
例えば、文学は人の苦悩や喜びに対する感受性を高め、哲学は生命倫理や死生観といった根源的問題への洞察を深めます。心理学や社会学は、患者との関係性や患者が抱える社会的背景を理解する助けとなります。いずれも医学、科学技術だけでは補えない部分です。
第2にコミュニケーション能力と共感力を高めます。医療では患者との対話が非常に重要です。インフォームド・コンセント(説明と同意)、チーム医療、多職種連携等々、医師が他者と正確な意思疎通、円滑な関係構築をすることに寄与します。
医学部における教育は知識や技術の習得が中心になります。医学の進歩、医療技術・医療機器の複雑化・高度化に伴ってその傾向は強まり、表現力や対話力、あるいは共感力・人間力を育む機会は限られます。
その不足を補うのがリベラルアーツです。演劇や文学、倫理、歴史、哲学等々の分野は、他者の視座に立ち、感情を理解し、言葉を選ぶ力を養います。実際、欧米の医科大学では物語性を重視した「ナラティブ・メディスン(物語医学)」が導入されており、患者の語る「物語」を理解する力が医療の質を高めるとされています。
ナラティブ・メディスンは1990年代の米国で提唱され、患者の話す内容や体験をより重視し、医療の質を向上させようとする取り組みです。
第3は「医療の倫理」を考える機会を提供するからです。医療には倫理的な判断も求められます。生と死、終末期医療、臓器移植、出生前診断、AI診断等々、科学技術の進歩が進むほど倫理的ジレンマは複雑になります。
ここで重要なのは、「正しい答え」がひとつに定まらない、そもそも「正しい答え」があるかどうかもわからない等々、是非を判断することが難しい場面に往々にして遭遇することです。
リベラルアーツは、そうした倫理的葛藤に対して、多角的な視座と哲学的な思考をもって対処する能力を鍛えます。例えば、「生死とは何か」「人間とは何か」「良い医療とは何か」等々の問いに向き合う力は、現代の医師により一層求められる資質です。
第4は医学研究の発展と創造性に寄与するからです。リベラルアーツは創造的思考の源泉です。芸術、文学、哲学等は医学と無関係のように思えますが、医療関係者に新しい視座・視点や価値観をもたらします。現代の医学研究は、データの蓄積に加え、「問いを立てる力」「問題の再定義力」といった知的柔軟性も必要とするでしょう。
医学においては、異分野の知見との交流・統合、つまり学際的思考も重要です。例えば、認知科学と文学、神経科学と音楽、AIと倫理など、境界を越えた発想は、学際的素養やリベラルアーツによって思考力が培われます。
第5に医大や病院の経営における必要性です。医大や病院の経営者や教職員にとっても、リベラルアーツは戦略的に重要な意味を持ちます。
海外の大学・研究機関との連携、外国人患者・留学生の受け入れなど、医療もグローバル化が進んでいます。異文化理解や倫理的判断力を備えたグローバル人材が必要とされますが、そうした人材はリベラルアーツによって育まれます。
また、医療の関連職域は広がっています。多様な進路に対応できる柔軟な教育体系を築くには、リベラルアーツ的な教育体制やカリキュラム編成が必要です。
さらにリベラルアーツは、大学が単なる職業訓練校ではなく、「人間を育てる場」であるという存在意義を内外に示すものであり、大学のブランディングや社会的信頼にも繋がります。
大学を取り巻く急速な変化に対応するため、医大及び病院の経営者・教職員あるいは事務局全体としてリベラルアーツ的視座を持つことが必要です。
医学は科学であり、同時に人間学です。この両方を担い得る医師を育てるために、専門教育に加え、リベラルアーツが必要です。
リベラルアーツは、医学の枠を越えて、思考力、共感力、倫理的判断力、そして創造力を育む教育であり、医師のみならず、医大や病院経営に携わる医療関係者全体にとって、必要不可欠な素養と言えます。
医学は専門教育の象徴のような存在であり、リベラルアーツとは別次元の分野と見做されがちです。しかし、現代社会においては、医学はむしろリベラルアーツに不可欠な分野と感じています。だからこそ上述のとおり「STEAM」に「M」を加えて「STEAM2」です。
医学は「身体」「生」「死」「苦しみ」「ケア(治療・介護)」等、人間の根源に直結する営みを扱うことから、人間理解の深層に迫る知的・倫理的探究を可能にする学問です。
医学をリベラルアーツの一分野として取り込むことの必要性は明らかだと思います。
第1に医学は人間の有限性を学ぶ学問だからです。リベラルアーツが目指す「人間としての成熟」とは、知識の蓄積ではなく、他者と自分を深く理解し、歴史や社会の文脈の中で自己を客観視することです。その過程において「身体的な有限性」や「死の不可避性」は極めて重要な視座です。
医学は人間の身体の機能や構造を知ることを通じて「生命の限界」と向き合います。病気、障害、老化、死といった現実を目前にして、「人間とは何か」という究極の問いと対峙します。哲学や文学が観念的に追求する人間の本質に、医学は現実の身体を通じて向き合います。
医学は「生の現実」「病の現実」「老いの現実」「死の現実」を可視化する手段であり、リベラルアーツが目指す人間理解に不可欠の根幹的学問です。
第2に医学は倫理的判断の葛藤に直面するからです。リベラルアーツでは、理論と実践の両立、知識と行動の両立を重視します。抽象的な理論や知識を学ぶことにとどまらず、それを個人や社会の現実に適用し、応用することで判断力を涵養します。
医学は理論と実践の両立、知識と行動の両立に日々直面しています。しかも臨床現場では、妊娠中絶、安楽死、臓器移植、出生前診断等々、倫理的判断が必要とされる事態と対峙します。これらは医療技術の問題にとどまらず、「人間の尊厳」「生きる意味」等の哲学的・倫理的問題を伴います。
つまり、医学は実践的な倫理教育の場でもあり、理論と実践、理想と現実の緊張関係の解決のために思考力と行動力が問われます。これはリベラルアーツの指向性と一致します。
第3に医学は社会や文化と密接不可分だからです。医学は自然科学でありながら、社会学・人類学・歴史学・宗教学等とも密接に関わる学際領域です。なぜなら、病気や健康、生死の概念そのものが文化や時代や地域に影響を受けているからです。
感染症対策におけるマスクやワクチン接種の受容度も、延命治療や安楽死に対する許容度も、妊娠中絶や臓器提供の是非も、社会的・文化的・宗教的背景等によって異なります。
医学は社会構造や価値観を反映しており、文化的相対性に直面する学問です。そうした観点から、医学をリベラルアーツの一分野として取り込むことは、文化的多様性や倫理的多義性を理解するうえで極めて重要と考えます。
第4に医学は平均的な教養としても重要です。医療行為が広く行われている現代社会において、健康や医療に関して個人が自ら判断し、行動する知的自立が求められます。
健康や医療に関する意思決定が個人に委ねられる場面が増えています。癌の治療法の選択、ワクチン接種の可否、終末期医療の希望等々、人間は「医療を受ける当事者」として判断と行動を求められます。
ある程度の医学的知識や人間の身体構造に対する理解がなければ、合理的な判断は難しいでしょう。また、個人の判断と行動の結果の集積は、公的医療が普及している現代社会においては、医療制度や財政にも影響を与えます。
つまり、医療リテラシーを高めるという観点からも、医学をリベラルアーツに内包することは有益でしょう。
第5に医学をリベラルアーツに内包することで、他の人文科学、社会科学、自然科学のいずれにおいても、それぞれ学問分野を活性化することに繋がります。
例えば哲学では、生命倫理、死生観等を議論する際、具体的な医療事例が思考の質を高めます。文学でも、疾病やケア(治療・介護)等に対する理解がより深まります。
医療制度や財政、不平等(貧富の格差)と健康格差の問題等々、医学を通じて社会構造を可視化し、社会学に大いに寄与します。宗教学や倫理学においては、医学的視座から終末期医療、安楽死、治療方法の選択等々、実際の医療現場での倫理的葛藤をより深く熟考することに繋がります。
科学技術においては、新たな研究や技術開発の必要性や閃きに繋がります。
このように、医学をリベラルアーツに内包することで、様々な分野の思考と議論が活性化し、全体としての人間理解がより深まると考えます。
結論的に言えば、医学はリベラルアーツの核心的存在です。医学は医療関係者にとっての専門教育であると同時に、リベラルアーツにおける「人間を知る」「社会を考える」「倫理を問う」ための中核的学問分野です。身体を通して人間の存在に迫る医学の特性は、他の分野の思考を刺激し、リベラルアーツの本来の機能を高めます。
医学をリベラルアーツに内包することで、医師の養成に寄与するにとどまらず、全ての人の「人間」に対する洞察力を高めます。それこそが、リベラルアーツの本来の目的、原点と言えるでしょう。
(了)